top of page

演奏会裏話 〜ピアニストの本音〜 第1−3話 (2000年頃執筆)

私はドイツに住んでいるピアニスト。日本にいたころは眼科医だったが、ドイツに来てから音楽家に転職したという変り種である。勉強期間も含めればすでに20年あまり、ここで音楽活動をしている。その間、随分色んなところで演奏した。ただし、「コンサート」「リサイタル」「演奏会」といった種々の美しい言葉から連想されるような、音響効果満点のホールと、そこにいっぱいに詰まっているマナーのいい聴衆、という理想的な形の演奏会ばかりではない。会場は体育館だったり、教会だったり、普通の民家だったりまちまちで、また客席はガラガラだったり聴衆のマナーが悪かったりと、どちらか言えば何か問題のある演奏会の方が多い。その理由の一つは私があまり「売れていない」演奏家だからであろうが、おかげで笑い話になるようなエピソードには事欠かないので、ここにその幾つかを

ご紹介する。

「高級なピアノだからと安心すべからず」

高名なピアニストの中には、演奏会場に必ず自分のピアノを持ち込む人がいる。今は亡きホロビッツ、ミケランジェリなどはよく知られている例である。そこまではいかなくても、ピアノにうるさいピアニストは大勢いる。彼らは、演奏会の前、用意されたピアノの具合が思ったようでなければ、調律師にとことんまで文句をつける。いい演奏をする為にはいい楽器が必要だから、これはごく当たり前の事ではある。

しかしながらこれもひっぱりだこのピアニストの場合にのみ可能であり、私のような無名の者は、行った先でどんな楽器にあたろうが、文句を言わずに弾くしかない。それでなければ断られてしまうのがおちである。多くの主催団体、つまり地方自治体や文化協会のたぐいは資金難で、ピアノにお金がかけられないのだ。

そういうわけだから、会場にスタインウェイの真新しいフルコンサートでもあろうものなら、「これでまず今夜は成功まちがいなし」とひと安心する。ピアノが良ければ同じ演奏でも効果的に響くし、それにスタインウェイは何といっても弾き易い。それがこのピアノの最大の長所であり、大抵のピアニストがスタインウェイを好む所以である。

しかし、安心してばかりもおれない時がある。それは、バート・ナウハイムという温泉場での事。そこでさる記念演奏会に出演した。会場は立派な大ホールで、舞台にはその日のためにどこかから借りてきたスタインウェイのフルコンサートが置かれてあった。調律は既に済んでいます、との事だった。ところが試弾してみたところ、弱音ペダルを一旦使うとその後ずっと弱音のままで、もと通りの音にならない。グランドピアノは、弱音ペダルを踏むと鍵盤全体が少々移動し、通常なら2本か3本のピアノ線を同時に叩いているハンマーが一本しか叩かなくなって音量が減少するしくみになっているが、このピアノの場合、移動した鍵盤がペダルを緩めた後も元の位置に戻らず、移動した位置で止まっているので、弱音のままになってしまうのだ。正常の位置に戻す為には、両手で鍵盤を押し戻すしか方法が無い。こういうピアノの故障を修理するのも調律師の仕事なのだが、弱音ペダルの検査を怠ったに違いない。

「このままでは駄目です、ショパンを弾くのに弱音ペダルを使わない訳にはいきません、これではとても演奏できません。」

と必死で訴えた。

演奏会の主催者がそのピアノを担当している調律師に連絡を取ろうとしたが、あいにく日曜日で、調律師はどこかへ雲隠れしてしまい、全く連絡がつかない。無責任なものである。しかたなく、近隣の町を探しまわって別の調律師を見つけた。ポーランド人の若い人で、はたしてスタインウェイのフルコンサートを扱った経験があるのかどうか怪しかったが、

「何とかやってみます、お任せください」

と威勢はいいし、何しろ緊急の場合である。まあいいか、と修理を依頼した。ピアノの持ち主がその場にいたら大反対したことだろう。メルセデス・ベンツの修理をトラヴァント(東独の大衆車)の修理工に頼むようなものだ。一時間ばかり経って、

「出来ました」

というので、再び試弾してみると、なるほど、弱音ペダルはまともに機能するが、そのかわり、今度は最高部の鍵盤のいくつかが、一度押さえたら最後、戻って来なくて、音は鳴り続けだ。これでは弱音ペダルの故障よりさらに致命的ではないか!

このままでは全く演奏出来ない。演奏会の開始時間はせまってくるし、演奏者である私も主催者もおおいに慌てた。やはり、訓練を十分に積んでいたかどうかも疑問な、このような調律師に大切なスタインウェイの修理をまかせたのは間違いだったようだ。

「元通りにしてください。」

と厳命し、やっとのことで間に合わせてもらった。まあ、元通りに出来ただけでも良かったというものだ。取り返しのつかない損傷が起こることだって充分にあり得るのだから。もと通りだから、高音が鳴り続けたりはしないが、弱音ペダルにより移動した鍵盤はそのままの位置で止まったまま。そういう『特殊な』ピアノで演奏会をしな

ければならなくなったのである。

この演奏会では私以外にもう一人ピアニストがいて、ヴァイオリンとのデュオでベートーヴェンのスプリングソナタを演奏会の最初に弾いたが、その時、15歳くらいのピアニストの息子が譜めくりをしていた。彼らの演奏後、「どうなりましたか」ときくと、

「ボクが鍵盤を押し戻す役目もしたのです。何とかなりましたよ」

というので、私も続いてホルンの伴奏で出演した際には、その少年を譜めくりとして起用し、弱音ペダルを通常どお

りに使用した。そのつど彼が鍵盤を押し戻してくれたので、演奏に支障はなく、利発な少年との『共演』はむしろ楽しいくらいであった。

しかし演奏会の最後、ソロでショパンのスケルツォなどを弾いた際には、彼が

「ボクも一緒に行って鍵盤を戻した方がいいですか?」

と聞いてくれたけれど、

「いや、何とか弱音ペダル無しで弾いてみますから。」

と断った。譜面が無いのに譜めくりが付いてきて、時折鍵盤に手を触れていたら、観客は不審に思うだろうし、早いパッセージの最中に彼の手と衝突する危険もある。それに、思いがけぬところで鍵盤が横揺れしたらめまいがするか

も知れない。

残念ながら「弱音ペダルなし」をいきなり本番で実行するのはそう簡単ではなかった。踏む癖がついているから、何回か忘れてペダルを踏んでしまい、そのあとは弱音ペダルのかかった状態のまま必死に強く弾き、機会をみつけては瞬時にググッと鍵盤を押し戻す、というアクロバット風の作業をしなければならなかったのである。

スタインウェイのフルコンサートだからといって必ずしも信用はできない。名器も故障することはある、いや、名器の方が故障しやすい。考えてみれば、私が演奏中にピアノ線を切ったのもスタインウェイが一番多い。担当の調律師は演奏会まで居残るか、少なくとも居所を明らかにしておくべきだと思うが、そこまでなかなか徹底することが出来ないのが現状である。

「音楽会騒音その1. 教会の鐘」

フランクフルトの近郊都市、ハナウの市中にある民家で、家の主人の60歳の誕生日、即ち還暦のお祝いに演奏会をして欲しいと依頼された。還暦という考えは勿論ドイツにはない。しかし、50歳、60歳、といった区切りのいい誕生日を特別に祝うのはヨーロッパの風習で、その祝い方は日本の比ではなく、結婚式がもう一度来たくらいに盛大である。

この誕生祝いは、「ピアノリサイタルを客に聴かせる」という、ありきたりの誕生パーティーとは異なった発想に基づいており、しかも「ブラームスのパガニーニ変奏曲をプログラムに含めること」という条件つきである。超絶技巧で客を楽しませよう、という趣向らしかった。希望された曲が難しい割には、提示された報酬は少なかったが、まあ、そんなことはどうでもよい、弾けるならそれでよろしい、と引き受けた。演奏家資格試験のすぐ後で、難曲のレパートリーは豊富だったからだ。

開始時間は午後5時で、ベートーヴェンのワルトシュタイン、ショパンのバラードなどを順調に弾き進んだあと、最後の「パガニーニ変奏曲」になった。一集と二集の連続演奏である。この曲は試験でも弾いた得意な曲ではあるが、何分にも技術的に大変難しいので、演奏のつど、最高の集中力を要する。

何とか無事に前半をクリアーしかけ、第一集の終曲を弾いている際に、家の真ん前にある教会の鐘が大音響で鳴り出した。午後6時になったのだ。ヨーロッパではどこでも、教会のあるところなら鐘が鳴るが、そのタイミング、回数などは場所によって違う。ミサの開始前に、人々を教会に誘うように鳴らすのが一番一般的で、お葬式(葬送ミサ)の際にも鐘が鳴るのは、ヘミングウェイの「誰が為に鐘は鳴る」の表題が示すとおりである。

また、その日の始まりと終わりを告げるため、朝6時と夕方6時に鳴る所もあるし、昼食時間を知らせるべく、正午に鳴らすところもある。鐘の鳴る回数についていえば、ほんの数回鳴らして終わることもあれば、除夜の鐘のごとく延々と鳴り続ける事もある。この方面の研究をしている訳ではないので自信はないが、多分、いつ、何回鐘を鳴らすかについては、各教会がそれぞれの伝統と教区信徒の希望によって決めているのだと思う。知人の話によれば、昔はどこでも一時間ごとに鳴ったそうであるが、住民の苦情により、その頻度はどんどん少なくなり、今に至っているとの事である。教会勢力の衰えと平行関係にあるのだろう。

ともかく、そのハナウの家では、前の教会が毎日夕方6時に鐘を鳴らすのに、家の主人がそのことを考慮するのを忘れていたのだ。何しろ難しいパガニーニ変奏曲一集の終曲を弾いている最中だし、何としてでも早く最後まで行き着きたい。「そのうち止むだろう」と思いながらしばらく弾き続けたが、あまりのうるささに、自分のピアノの音も聞こえない。客にも聴こえていないに違いない。これではこれ以上弾いても無意味なので、弾くのを止め、鐘が鳴り終わるのを待つことにした。何と、20分間、延々と鳴り続けたのだ!鳴り終わったところで、先ほど止めた部分、つまり第一集の終曲から弾き始め、続けて第二集を弾いたが、もはや当初の集中力はどこかへ行ってしまい、かなり投げやりで不本意な演奏になってしまった。

難曲を演奏するのは、スポーツ的な面が多く、フィギュアスケートで難しい技術をこなすのと似たところがある。全ての体力と精神力を注ぎ込んで、難しさを克服しながら美しさ、芸術性を表現しないといけない。演奏家はぎりぎりの所で弾いているのだ。それゆえ、何らかの障害により精神の集中が出来ない場合には、非常な困難に陥る。プレッシャーがかかった選手が充分に活躍できないのと同じである。従って、いい演奏を聴きたければ、演奏家が十分に集中して実力を発揮できるように、主催者は気を配らないといけない。

勿論教会の鐘の時刻も、ちゃんとプログラムのタイミングの計算にいれておくべきだったのだ。あの終わり無き大騒音を忘れるとは、随分のんびりした人である。

「音楽会騒音その2. パトカーのサイレン」

イギリスのさる上院議員の女性が亡くなったしばらく後で、その方の追悼ミサが行われ、そこで演奏することを頼まれた。彼女はロンドンのショパン協会設立者の一人であり、私はその方のお世話でロンドンで演奏会を開かせていただいた事がある。彼女の生前の好みに従って、ハイドン、バッハ、ショパンを演奏することになっていた。場所は、上院議員の追悼ミサにふさわしく、ロンドンの最中心地、ウエストミンスターにあるマーガレット教会で、ビッグ・ベンなどとも隣り合った由緒高いところだ。最初に、招待客が全員集まって教会の入り口が閉ざされると、ハイドンのヘ短調変奏曲を演奏し、それが終わった所で、聖職者がゆっくりと入場行進してきた。彼等が着席した後、バッハの平均率一巻ト短調を演奏。静まり返った沈痛な雰囲気の中で、物悲しいプレリュードが終わり、フーガが始まった。

それを半分くらい弾いたとき、突然、けたたましい音でパトカーのサイレンが鳴り出した。なにしろ大都会ロンドンのこと、パトカーのサイレンは日常茶飯事であるが、これはどうにもタイミングが悪い。まるで教会の中で鳴っているようにうるさく、その音たるや、ネズミ花火が跳ね回っているように連続的で我慢のならないものである。日本やドイツのパトカーのウーウーやピーポーピーポーなんて、これに比べれば静かなものだ。これではとてもバッハのフーガを落ち着いて弾いていられる雰囲気ではない。とはいえ、荘厳なミサの最中であり、演奏を止めるなんてとんでもない事である。ともかく、譜面を忘れてしまわないで弾き続けなくては。「しまった、楽譜を見て弾いたらよかった、畜生!」などと心の中で呪いの叫びを上げつつ、必死に神経を集中し、何とかその危機を脱して最後までいきついた。

このミサは全部録音され、のちにCD をいただいたので、聴いてみたら、パトカーのサイレンが始まるや、フーガのテンポがやや速くなって、心の安定が崩れているのがよく分かる。まったく冷や汗ものである。こういうリスクの多い状況で演奏する際には、妙な自尊心は忘れて手元に楽譜を置いておくべきである、という教訓が得られた。

話はそれるが、最近では携帯電話による演奏会の妨害がちょくちょく起こっている。

幸い私は今まで被害にあっていないが、先日、非常に気の毒ではあるけれども愉快な出来事に遭遇したので、それをここでご紹介する。場所はライプチヒ高等音楽院内のコンサートホールで、それは中国人作曲科学生の最終試験であった。演奏される曲はすべてその学生がその試験のために作曲したものであるから、全部初演であり、ライブ録音されていた。

CD にするつもりなのであろう。彼にとってはまさに一生の大事である。それというのも、そういう新曲をちゃんと練習して演奏してくれる人達を見つけるのは生易しいことではないので、ここで演奏された曲が一度限りで忘れられてしまう可能性はかなり高く、この日の録音は彼にとって非常に貴重なものなのだ。彼自身、二度とは聴けないかもしれないのだ。

ピアノソロ、歌曲、室内楽など色んなジャンルの曲が演奏されたが、勿論すべて無調音楽で、クラシックな楽器を使用してはいるが、音の出し方も現代曲らしく型破りだ。殴ったり引っ掻いたり、また弓の木の部分で弾いたりと、その楽器らしからぬ音を造りだしている。プログラムに添えられた作曲者の言葉によれば、「書道芸術を音で表現した」との事だ。

そう思って聴けば、そんな感じはしないでもない。

さて、プログラムの中ごろで、弦楽四重奏曲を演奏中に、客席の後ろの方で「ピー、ピッピッピー」という、ピッコロのような音がし始め、繰り返し鳴りつづけているので、私を含め多くの聴衆は、咄嗟にそれを曲の一部だと思った。演奏者の一部が客席で演奏するのは珍しいことではないし、それにこれは新曲であるから、どのような変わった趣向が凝らされていても不思議はないのだ。そしてそのような趣向は、多ければ多い程いいのである。そうは言っても、あまり同じ音形の繰り返しが続くので、これはひょっとすると携帯電話では、と気がついて、音の聞こえてくるあたりに眼をやると、一人の中国人らしい女性が顔を真っ赤にしてハンドバックの中を探し回っているのが見え、やはり切り忘れた携帯電話である事がわかった。私と一緒にいた作曲家の友人は、「これは弦楽四重奏と携帯電話のための五重奏曲だねえ」と言いつつ大いに笑ったが、はたして作曲者はそれでよかったのか、そこのところは定かでない。

そこで気の毒な作曲者への私からの提案だが、この曲を「弦楽四重奏とピッコロのための云々」と適当に改名し、楽譜にも携帯電話を模したピッコロの音を書き加え、CD と共に売り出すことにしてはどうだろう。その方が録音をもう一度やり直すよりよほど手っ取り早いのではないか。

Featured Posts
Archive
Search By Tags
Recent Posts
Follow Us
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page