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演奏会裏話〜ピアニストの本音〜 第4−6話 (2000年頃執筆)

「舞台照明の重要さ. 鍵盤も手も真っ赤っか」

フランクフルト郊外の小都市バート・ホンブルクでは毎年、夏の最中に大規模なお祭りが催される。バート何とか、という名前の町はすべて温泉町か、もと温泉町であり、過去には有名、無名の政治家や芸術家が保養に訪れて栄えていた場所である。しかし、医学の発達した現在では温泉で保養する人の数は減ってしまったので、多くの温泉場は経済的困難に陥っており、生き残り対策に頭をかかえている。その中にあって、このバート・ホンブ

ルクはドイツ経済界の中心地フランクフルトから通勤電車で20分という有利な立地条件のおかげで、銀行家など富裕層の住宅地として今でも結構栄えている。

さて、ある年の夏祭りの際に、野外でピアノ演奏会を開いて欲しい、との依頼が来た。プログラムなどは事前に手紙で取り決め、当日はリハーサルのため、早めに出かけた。行ってみて驚いたことには、グランドピアノが池の中に人工的に作った島の上に置いてある。そのピアノは緑色に塗られ、赤い大きなリボンが描かれている。これだけでも、現代美術の一種として通用しそうだ。そして演奏会の開始時間になったら、魅力的な若い日本女性(?)が,岸辺から細い橋を渡ってその島に行き演奏する、という趣向なのだそうである。

「自分たちはアイデアに富んだ団体なのです。」

と主宰者は得意げだ。これはなかなか面白い。斜陽のクラシック音楽にとって大衆を獲得する工夫は非常に大切だ。それなら私も一役買ってあげましょうと、リハーサルなどはそこそこにし、華々しい舞台衣装に着替え、念入りにお化粧をして本番を待った。本番は8時始まりだったが、まだそのころは充分に明るくて、人工照明の必要はなく、夕暮れ時の柔らかな自然光のもとで気持ち良く演奏できた。

ところが、ところがである。最後の曲を弾く9時ごろになると、ヨーロッパの夏は日が長いと言っても、さすがにかなり暗くなってきた。「こんなに暗くて弾けるかなあ?」と思いつつお辞儀をした途端に、真っ赤なスポットライトで照らされた。これも自慢のアイデアの一つであるらしい。リハーサルの時は明るかったので照明のテストはしていなかったのだ!これは全く想像もしていなかった。「こんな馬鹿な事ってあるかしら、どうしよう?」と一瞬動揺したが、まわりは既に何百人もの観客で埋まってしまっているので、ここで「ちょっと待って、」とクレームをつけるのは現実としてなかなかに難しい。ましてや私は人に文句をいうのが苦手で、なるべく自分が我慢をして丸くおさめたい、という意気地なしである。せっかくこういう突飛な演出を思いついた主催者と照明係りに公衆の面前で恥をかかせるのも気の毒だ。逆に怒らせて次回からお声がかからなくなったら大損ではないか。それに白いライトを準備してあるとは限らないし…

かように咄嗟に色々考えた挙句、あたかも何事も起こっていないかのように、にこやかに座って弾こうとしたが、なんと、白いはずの鍵盤は真っ赤、鍵盤に触れようとする私の手も真っ赤で血だらけのよう、不気味でとても見ていられたものではない。それに、オリエンテーションの感が狂ってしまい、どこへ手を持っていったらいいのかも判らないくらいだ。

プログラムの演奏曲目はシューベルトの「さすらい人幻想曲」で、リストやブラームスのように大跳躍がいっぱいあるわけではないとはいえ、運動量が多くて難しい曲である。それに、曲想から言っても、この赤いライトにはまるでそぐわない。タンゴでも弾くのだったらともかく。やはり普通の白いライトに変えてくださいとお願いしてみようか、とまた一瞬迷ったが、一旦座ったのに立ち上がるもの気が引ける。抗議すべきタイミングはとうに逸してしまっているのだ。ままよ、と思い切って、最初の和音をどうにか見つけたあとは、常時上を向いたまま、一切手元を見ないで演奏した。

こういう窮地に陥った場合、「火事場の馬鹿力」ではないが、人は案外に強くなるもので、演奏は最後までさほどのミスなく無事終了した。盲目で見事に難曲をこなすピアニストもいるから見ないで弾くのは可能なのであろうが、そういう訓練を積んでいない私は、視覚の助けがなくては通常ならこの曲をミスなしに弾けるわけがない。かくして、野外演奏会は主宰者も照明係も得意満面のうち、大成功裏に終わった。私はと言えば、せっかく

の満ち足りた気分に水を注すのもと、照明については一言も言及せず、和気藹々と別れた。

どうせ来年はまた違ったアイデアなのだから、今さら言ったところで何の役にも立ちはしない。

『暗順応が足りなかったブラームスの協奏曲』

言うまでも無く、演奏家にとって舞台照明は成功、不成功を左右する極めて重要な要素である。それゆえ、普通の演奏会場なら事前に必ず照明のテストをし、鍵盤に大きな影が映ったり、演奏中に視線が行くところに強い光源があって目くらましをされたりしないように気をつける。しかし時には予想外の事態が生じる。

前章で述べた例以外に、私が経験したもう一つの場合は、フランクフルト音大の卒業試験の時であった。その試験では、前半にスカルラッティ、ラヴェルなどのソロの曲目を演奏する他に、作曲科の教授であったクライン氏のトッカータの初演を行い、その後すぐ続いてブラームスのピアノ協奏曲第2番をもう一台のピアノに伴奏してもらって演奏した。

こんなハードな曲目を続けさまに弾くのは試験の時ぐらいである。

前半が無事終了した後、短い休憩中に、伴奏用のグランドピアノが今まで弾いていたピアノの横に並べられたが、その際、一台目のピアノは今までより1メートルばかり観客側に移動させられた。ブラームスを弾くべくピアノの前に座ったところ、鍵盤の、特に右半分がいやに暗くなっている。舞台中央にある光源から遠くなってしまったからだ。それでも他の受験生は誰も文句を言っていないのに私だけ文句を言うわけにもいかないし、予定どおりに弾き始めたところ、暗すぎるために感が狂って、高音部で大音響の不協和音を鳴らしてしまった。これではブラームスというよりストラヴィンスキーである。

そのうちだんだんに眼が暗順応して鍵盤が見え始めたので普通に弾けるようになり、試験は何とか合格したが、後でピアノの先生が

「君はちょっと上がっていたのかい、あんな間違った和音を弾いた事は今まで無かったのだがねえ」と言われたので、

「暗くてよく見えなかったからです。」

と弁解したところ、

「暗かったって?」

と、信じられない、という顔をされた。どうやら、ただの言い訳だと思われたらしいが、これはれっきとした真実な

のである。私はこの出来事に真に医学的な説明を加えることも出来るのだ。

以前にマックス・プランク研究所で眼科学の研究をしていたころ、視覚誘発電位(人が物を見たときに検出される脳波)を使って、アジア人とヨーロッパ人の視覚特性、つまり見え方、を比較する実験をしたことがある。その結果、目の黒いアジア人は、ある範囲内においては、光が強くてコントラストが強い程よく見え、明るさとコントラストが低下すればそれに従って急速に見えなくなるのに対し、目が青かったり緑色だったり薄茶色だったりするヨーロッパ人は、薄暗くてコントラストが30パーセントと低いところでもよく見える、と言う事が明らかになった。そのかわり、彼らは光の強度とコントラストが強すぎると眩しくて逆に見えなくなってくる。これはメラニン色素の含有量の相違によるものだと思われる。

この実験により、私がドイツに来て以来、常々感じていた「ドイツではどこもかしこも、どうしてこんなに暗いのだろう」という疑問が解明された。要するに、ドイツ人は、日本人より暗闇に強いのである。そしてまた、彼等が光の強い野外では常にサングラスを愛用する理由も明らかだ。ファッションの為でも変装するためでもなく、単に、眩しくてそれが無ければよく見えないからなのだ。ヤクザが色眼鏡で自己主張するのとはわけが違うのだ。ただしこの実験結果は論文にはしなかったし、豊富に集めたデータも既に失われているので、私の頭の中にあるだけである。異議のある方がおられたら、実験をやり直していただきたい。ともかく、この見え方の違いのため、ドイツ人なら全く問題が無かったであろう鍵盤の薄暗さが私には大きく影響したものと思われる。

最近はアジア人学生の割合が急速に増加し、どこの音楽大学でもヨーロッパ人を凌駕している。それ故、舞台照明も多数派に合わせて明るくすべきだと思うが、多分、誰もそんな事に気付いてはいないだろう。

「モーツァルトの協奏曲でのハプニングの数々」

以前フランクフルトに住んでいたとき、ある企業の合唱団を指揮している方とお知り合いになり、合唱団の定演の際に毎年のように色々なモーツァルトのピアノ協奏曲をこの人の指揮のもとで演奏した。協奏曲は全部で27曲もあるのだから、選り取り見取りである。

オーケストラは音大の学生やフリーの音楽家の寄せ集めで一応はプロの集団だが、指揮はなんとも下手くそで、居ない方がいいくらいだ。それでもなにぶんとても人のいいお爺さんなので、みんな我慢していた。

ある協奏曲の終楽章で、ピアノとオーボエが掛け合いになっている箇所で、オーボエが1小節遅れて演奏した。分かりにくい指揮だから無理もないが、私は非常に困った。オーボエに合わせて一小節遅らせるべきか、指揮者に合わせてそのまま弾き続けるべきか。

本来ならオーボエが気付いて合わせるのが当たり前だが、直前に雇われたエキストラなので、ピアノとの掛け合いであることに気付いていない様子だ。結局、大事なメロディーを弾いているオーボエに合わすしかない、と咄嗟に判断し、自分も一小節ずらして演奏、指揮者とオーボエ以外のオーケストラ全員を振り落とした。

あちこちで不協和音が鳴り続けるなか、ピアノとオーボエのデュオを続け、楽章の終わりに近いカデンツァ(楽章の終わり近くで、ソリストがオーケストラ無しの即興的演奏を行う部分)直前の大休止に到ってやっと全員が一緒になった。斯様にカデンツァはとても役に立つのだ。それまでばらばらになっていても、ちゃんと全員一緒に終わることができる。めでたし、めでたし、である。

この指揮者とのもう一つの忘れ難い思い出は、電気ピアノでモーツァルトの協奏曲を演奏したことだ。この楽器(どのメーカーの何という楽器だったかは記憶にない)がそういう曲の演奏に向いている、とはとても言えないが、まあ、仕方がなかったのだ。

それは、東西ドイツ統一直後の1990年のこと。この人はゲッティンゲンに近い旧東ドイツの田舎町の出身で、若いときに西側に亡命した人なので、冷戦中には滅多に生まれ育った故郷を訪ねることが出来なかった。そこはもとの東西ドイツ境界の直ぐ東側で距離的にはさほど遠く無いにもかかわらず、実際上は限りなく遠い場所であったのだ。それゆえ、ベルリンの壁に穴が開くや否や、故郷に錦を飾るべく、懐かしいその町の大きな教会で自分の合唱団の演奏会をすることを思いついた。ついては、大好きなモーツァルトの協奏曲もやりたいが、その村にはどうやらピアノというものが無いらしい。いや、有ったかもしれないが、電話も完備されていなかった旧東独のこと、連絡がつきにくく、有るかどうかは判らなかったのであろう。そこで、電気ピアノ持参により、大型バスを借りて演奏旅行をすることになった。本物のピアノを持参するほどの予算は無かったからだ。教会はすばらしいバロック建築で、東ドイツの建物の多くが荒れ果てた状態で放置されていた事を考えれば、かなり良く保存されていたと記憶している。

しかしピアノ協奏曲を電気ピアノで弾くのは、やはり妙なものだった。まず、鍵盤のタッチが軽すぎてプカプカと頼りない感じだ。ペダルもプカプカだし、それにすぐに逃げてしまってどこにあるのか判らなくなる。さらには、ピアノの音が自分の弾いている楽器とは全く違った所から聞こえてくる。こんな事も、キーボードに慣れていない私には変に感じられる。それになんと言っても馴染みの無い、奇妙な音だ。電気音はいくら改善した所でやはり電気音、本物の木から出る音ではない。(もっとも、最近の電気ピアノはかなり改善されたと聞くが…)しかし考えてみれば、モーツァルトの時代のピアノも、現代の我々のピアノとはまるで違っていたのだし、電気ピアノの音にモーツァルトが異議をさしはさむ事もあるまい。そう割り切って考えることにし、気持ち良くとはいかないけれども、無難に演奏した。そして、我が指揮者は故郷での記念すべきイベントに大喝采をあびる事ができたので幸福の絶頂であった。お付き合いした我々もやりがいがあったというものだ。

さて、私はここで、もう一つのモーツァルト協奏曲にまつわるエピソードを語るが、これは今までひた隠しにしていた秘密の告白である。それは今を去る事10年余り前だが、某州医師オーケストラと、あまり頻繁には演奏されない協奏曲を共演した。このオーケストラは失礼ながら上手とは言い難いオーケストラなので、ピアノパートをあまり熱心に練習する意欲が湧かず、適当に気楽に弾いていた。ところが、そういうオーケストラであるのに、どういうわけか、予定していた演奏会より早くに、マンハイムでの医学学会の出し物として急遽出演することになった。私はその話を聞いてからも、そのローゼンザールなる会場を知らなかったので、直前まで相変わらずごく軽く考えていた。

当日、会場へ行って驚いた。2千人くらいも入る大会場で、しかも殆ど満席なのだ。

これには慌てた。こんな凄いところでこのオーケストラと弾くことになるなんて、まるで

予想していなかったからだ。精神の安定を失ったためか、あろうことにも私は一楽章の演奏中、楽譜2行分ほど弾き忘れて跳ばしてしまった。これは、協奏曲では絶対やってはいけない事である。オーケストラ団員は、ピアノと合っていないことに気付き、一人、一人と演奏をやめていき、終にはピアノの独奏になってしまった。指揮者は大慌てで、必死に「第何小節!」とか叫んでオーケストラに弾かせようとしたが、誰も弾き始める勇気のある人はいない。私は勿論それに気付いていたが、途中で止めるわけにはいかない。そのまま一人でがむしゃらに弾き続け、カデンツァまで行き着いて、やっとオーケストラと一緒になった。この時もカデンツァに助けてもらったわけである。

第2、第3楽章は事なきを得たものの、折角の晴れ舞台をめちゃめちゃにした私への指揮者とオーケストラ団員の恨みは深い。私は申しわけなくて打ち上げ会では平謝りである。ところが、その時分かったことによると、オーケストラ団員はみな、自分が間違えたのだとばかり思っていたのだそうだ。

「あれ、変だな、と思ったけど、ピアノは実になめらかに鳴りつづけているから、ピアノが間違っているとはとても思えなかったので、自分が間違ったに違いないと思った。」

と団員の一人が語っていた。また、聴衆も、どうやら一人残らず、オーケストラが落ちたと思ったようだ。

「やはり、あのオーケストラは下手だねえ、駄目だねえ」

という声が何度も聞こえてきた。その時、正直な人間なら、

「いえ、間違ったのは私で、オーケストラに罪はありません」

とすぐさま声高に言うべきところであるが、卑怯な私はそんな巷の声は聞こえていないようなふりをして黙秘を続け、結果的に罪をオーケストラになすりつけたのである。御免なさい!

以来、それに懲りて、協奏曲を弾く場合には、オーケストラの上手下手にかかわらず念を入れて練習するようになったので、あんな大失敗は幸いにして繰り返していない。当然のことながら、このオーケストラからの共演依頼は二度と来ていない。

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