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室内楽グループは持続するのが難しい(2006年執筆)

京都ユーゲント、スフィンクス、メリアン、ポンテュス、ノイエ・ライプチガー、コン・スピリート。これらの言葉の共通点は何でしょう。想像がつきますか?

何を隠そう、これらは全て、私が属していたピアノトリオの名称なのです。あまりにも短命だった為に命名するに到らなかったトリオも含めれば、総数、優に10を超しています。現在も新しいメンバーで弾いていますが、名前はまだないし、名前をつける必要が生じるかどうかもわかりません。それぞれのトリオの運命について、簡単に説明しましょう。

まず、最初の「京都ユーゲントトリオ」は、名前から推察できるように、私がまだ日本で医学生だったころに、そのころパリ留学から帰国したばかりのヴァイオリンニスト、中西和代さんと、京大農学部の学生だったチェリスト、米原徹君とで結成した、私の人生で最初のトリオです。私がドイツに来て以来、トリオとしては中断し、たまに日本に帰った時に会って飲みながら喋る、というだけの友人関係が長く続いていましたが、最近、また一緒に弾きはじめました。しかし、3人共、歳を取ってしまったので、「ユーゲント」では通用しませんから、名前の変更が必要ですね。そもそもこの名前は最初から無理があったのです。ユーゲントと言えばティーンエイジャーか20台でも始めのほうのイメージですからね。長期間の継続を目指す室内楽団体はこんな名前をつけるといけません。誰だっていつかは歳をとるのですから。

スフィンクス・トリオはフランクフルト音大で始めたエジプト人二人とのトリオで、かなり長い間一緒に弾き、世界各地で演奏会をするところまで行きかけたのですが、ヴァイオリンニストとチェリストの両方がフランクフルトのオーケストラに入って以来、自然消滅。3人共フランクフルトに住んでいたのですから、オーケストラに入っていても続けられそうなものですが、あいにく彼らはあまり勤勉ではないので、オーケストラでの業務以外には練習しようとしません。才能のある音楽家なのに勿体無い、と思うのは私だけで、彼らはどうやら、経済的に安定した身分になったことで満足してしまったようです。国民性の相違、と言うと怒る人もいるかもしれませんが。

スフィンクス・トリオが事実上自然消滅した頃、同じフランクフルトで勉強した2人のドイツ人が、一緒にトリオを弾かないか、と持ちかけてきました。これがメリアン・トリオです。「風変わりドイツ留学記」にも書いたように、彼らは実に勤勉で、また楽しい人達だったので、最初のうちは私も喜んで弾いていました。しかし、しばらくすると、彼らの音楽的技量では物足らなくなってきたのです。演奏会をするたびに不満がのこるし、また人からも忠告され、結局、始めて2年目に自分から脱退を申し出ることを余儀なくされました。同じ学校で勉強した友人仲間だと、つい、相手を客観的な醒めた目で観察して「こいつは自分につりあった相手かどうか」と見極める事をおこたりがちです。「いいよ、いいよ、一緒に弾こう。」となってしまいます。しかし、プロとして一緒に長く弾き続ける為には、音楽家としての力量がある程度揃っている事は非常に大事。グループを結成する際にはその点をよく考えてみる必要があります。

次のポンテュス・トリオはフランクフルトの近く、ダルムスタットのオーケストラでコンサートマスターをしていた人に誘われ、当時、イスラエル留学から帰国したんばかりのチェリストと一緒に始めたものです。この場合は、チェリストがヴァイオリンニストに不満で、一年ばかり続いたのちに、全員やる気がなくなって自然消滅。

さて、ノイエ・ライプチガーですが、これは名前で分かるように、ライプチヒに移ってからのもので、ヴァイオリンニストとチェリストは両方とも私が最初に受け持った学生でした。彼らは恋人同士で、どちらも学生としては優秀だったし、もと東独の馴染みのない土地にやってきた私にとっては有難いことだったので、先生と生徒というこだわりを捨てて、学内でも学外でも一緒に演奏しました。この場合も、人からは「貴方にふさわしいパートナーでない」と言われましたが、それはもとより覚悟の上です。「ふさわしいパートナー」なんてどうせ見つからないのだから、やや不充分な相手でも仕方がない、弾けないよりはいいではありませんか。そのうち彼らは結婚し、ヴァイオリンニスト(女性)の方がベルリンのオーケストラに入り、チェリストは子育て役になって、このトリオは実質的には終わりました。彼らはまたそのうち再開するつもりのようですが。

トリオ・コン・スピリートは一番最近、2年前に始めたフルート、チェロ、ピアノという組み合わせのトリオですが、こういう組み合わせの場合、一番の問題は演奏出来る作品が少ないことです。ウェーバー、フランセ、と指折り数えるくらいしか見つからず、たった一回分のプログラムです。その為、どこへ行っても同じ曲ばかり弾くことになってしまい、同じ場所では2度と弾けない。レパートリーを増やすために、クラリネットやヴァイオリンの声部をフルートで吹く、という試みもやってみましたが、オリジナルの楽器による演奏効果を凌駕することはとても不可能で、苦労する値打ちがあるようには思えません。かといってわざわざ作曲家に依頼するほどの現代音楽への熱意も、また経済力もありません。作曲家の方から自発的にこういう編成の曲を作ってくれるなら話は別ですが、トリオ・コン・スピリートの知名度を考えれば望み薄です。そういうわけで、このトリオも休止状態です。余談になりますが、私はこの名前を選ぶ際に、インターネットで検索して同じ名前のトリオが既に存在しないことを確認してから決定し、ホームページに載せました。するとしばらくして、ある地方税務署から「貴方達は1998年の演奏会のギャラを申告していない。即座に申告しないと罰せられます」というメールが来てびっくり。「自分達は2003年に結成した団体で、1998年にはまだ存在していません。だから私達ではありません。構成員ひとりひとりの名前を確認してください」と返事したところ、「個人の名前の記録は残っていなくて、この名の団体は、現在、貴方達だけなので、貴方達がそれだと判断したのです。しかしそういう事なら、既に解散した別団体かもしれません。」との事。どうやら、ギャラだけ取って脱税して雲隠れしたトリオの名前を継承してしまったらしいのです。何とか罰されないですみましたが、インターネット上の宣伝には大いに気をつける必要がありますね。

私のトリオがいかに長続きしなかったか、というお恥ずかしい報告をしましたが、これは何も私に限ったことではありません。一旦ある程度まで成功しながら潰れたグループの例はいくらでもあります。超有名なボーザールトリオの様に同じ名前で長く弾き続けられるのは極めて例外的であって、それでさえ、現在のメンバーのうちで、結成時からいるのはピアニストのプレスラーだけです。知り合いのピアニスト、グレゴリー・グルツマンはショスタコーヴィッチ・トリオを結成後、ソロ演奏を止めてトリオでの演奏活動に集中していましたが、チェリストが個性の強い人だったためか、ヴァイオリンニストがいつかず、数回違ったヴァイオリンニストを試してみたりしているうちに、だんだんにトリオへの情熱が薄れたらしく、またソロの演奏活動を再開しています。世界的にかなり成功したグループですらこうなのですから、駆け出しグループの将来の展望はとても覚束ない、と言えるでしょう。だからといって絶望してはいけません。逆に、だからこそ、好運にも相応しい室内楽のパートナーが見つかれば、成功するチャンスがあるかもしれません。他の人達がみな、色んな理由により挫折している間に、貴方達だけが栄光への道を邁進し続けるかもしれないではありませんか。

2006年執筆

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