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初見演奏 その2 (2006年執筆)

以前に書いたとおり、私は初見演奏が得意です。その点だけは、誰にもまけない自信があります。それだから、音楽大学のピアノ以外の楽器の入試では大変重宝がられます。受験生がどんなに珍しい曲を持ってきてもたいてい伴奏をつけることができるからです。

ですが、今回の入試ではちょっと困ったことがありました。ヴァイオリンのマイスターコース、最上級課程の入試です。受験生の一人が持ってきた曲はバッハのソロソナタ、モーツァルトの協奏曲、シベリウスの協奏曲と、ごくあたりまえのプログラムに加えて、メシアンのピアノとヴァイオリンのための変奏曲。これは弾いたことがない。楽譜をのぞいてみると、少なくとも最初のほうは、どちらか言えばピアノソロにヴァイオリンがオブリガートとしてついているような印象で、しかもかなりの間、淡々とした隆起の少ない部分が続きます。速さの表示はmodéré―モデラート、穏やかな中くらいの速さ。この曲は入試には全く向いていない!入試ではせいぜい10分くらいの演奏時間中に受験生のあらゆる技術的、音楽的能力を見極めないといけないのだから、こんなのんびりした曲を長々と弾いている時間などあるわけない!それだからこれを弾かされることはまずあるまい、と確信し、主題と最初の変奏曲だけを受験生とリハーサルして本番に臨みました。

ところが!バッハもモーツァルトもシベリウスもホンのちょっとずつ弾かせたのち、わがライプチヒ音大の酔狂なヴァイオリン教授たちはメシアンも弾けという。それまでの演奏だけでこの受験生が不合格であるのは既に明らかなのに。そして主題の部分を弾き終わると、「ちょっと待って待って!第一変奏曲はいいから第二変奏曲を弾いてください」という。おおいに慌てて「これ、合わせてないのです。おおよそしか弾けませんが」と言うと「いいからいいから」と言う。しかたなく楽譜を前において眺めれば、最初の8小節ほどはピアノのソロで、ヴァイオリンはその後になってやっと登場する。だから、どういう速さで弾くか、は伴奏者である私が決めないといけない。テンポ表示をみると、”moins modéré”―これって、何?

フランス語はできないけれど、フランス音楽の楽譜にしばしば登場する表現なら私でも知っている。moins-「より少なく、英語のless」、modéré―「中くらいの速さ、モデラート」、「中くらいの速さの度合いをより少なく」。moins animéとか moins lentなら分かる。「活き活きとした度合いを少なくする」つまりもっとゆっくり弾く、もしくは「そんなにゆっくりでなく」つまり幾分速目に弾く、というわけだが、moins modéréとなると、理解に苦しむ。これ、一体、速くするのか遅くするのかどっちなの??

それを誰かに質問している時間的余裕などないし、私としたことが大勢の弦楽器教授たちの前でそんな格好悪いまねをしたくない。そんなことも知らないのか、と馬鹿にされるかもしれないではありませんか。

そこで、メシアン氏の定義によるとmodéréはアンダンテと同様ゆっくりなのであろうと勝手に判断し、「より少なくゆっくり」、つまり「速めに」弾く、と決めて速いテンポで弾き始めました。ところがどうやらヴァイオリニストは逆にゆっくりするものと解釈していたらしく、大慌てで私のテンポに合わせて弾き始めたものの、とてもついていけなくてガタガタとくずれ、ゆっくりになってしまうという、惨憺たる演奏になり、気の毒な受験生を前に試験官たちは心の中で大笑いをしていたようです。後になって他のピアニストたちとmoins modéréについて協議しましたが、誰も自信をもって答えられる人はなく、天国におられるメシアン氏に聞くしか無かろう、ということでした。読者のなかで答えられる方がいらしたら是非教えていただきたく存じます。

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