ザクセン州最古のオルガン (2006年執筆)
私のヨーロッパ便り、初回の話題は、先日経験した古いオルガンについてです。
10月初めに、ライプチヒから東へ30km程離れたところにある田舎村、ポムセンの小さな教会で「ザクセン州に現存する一番古い演奏可能のオルガン」(1671年製)の修理完成記念ミサがあり、その後、2日間に渡ってオルガンについての学会、および演奏会が開かれました。主催したのはそのオルガンを修理する為の有志の会で、会長は知人であるライプチヒ音大の教会音楽学科の教授(ドイツ系のチリ人)。彼に招待されて、筋違いの私も列席したわけです。ミサの際に司祭が何度も「Wunder」(奇跡)という言葉を使っていましたが、実際、人口800人と小さく、他にはとりたてて見るべきもののない村に、あれほど美しく古い、ミシュランのガイドブック風に言えば「わざわざ旅行するに値する」くらいのものが健在するなんて、奇跡のようです。外見的な美しさは言わずもがなのことですが、ここではそれについては省略します。オルガンの音は古いオリジナル殆どそのままだから、非常に美しいけれども部分的にはいくらか粗野で、バグパイプのような感じの音もあり、またいくつかあるマニュアル間の音量のバランスはあまり良くないようでしたが、「そこがいいのだ」という方もきっとおられるでしょう。まさに、バッハが生まれた頃に存在したオルガンなのですから。その演奏を聴いていると、つい、ブラームスのホルントリオを連想してしまいました。あの曲、素晴らしい名曲なのですが、実際に演奏すると、ホルンの音量とヴァイオリンの音量のバランスがとり難くて、どうしてもホルンの音ばかり大きく聴こえてしまいます。だから演奏会場ではできるだけヴァイオリンの音が前に出るように工夫しないといけない。同じような事は多かれ少なかれ、どういう組み合わせの室内楽でも起こりますね。色々な楽器を一緒に弾いたら、音量のバランスはなかなかそろわない。合奏とはそういうものなのです。レコードやCDでは、マイクを調整する事により音量を加減しているから、全部の楽器が均等に聴こえますが、あれは近代になってからの産物で、バッハの時代はそうではなかった。オルガンはそういった合奏を一人で再現できるものとして発達したのだ、というのがよく分かりました。上下の鍵盤とペダルにそれぞれ別のレギスターを使うことにより、音色の異なる楽器の合奏が可能です。ただ、この場でそれを述べるのはオルガン愛好家に失礼ではありますが、ピアニストの耳で聴くと、旋律に強弱によるニュアンスをつけられないのは、どうにも物足らない。管楽器や弦楽器を模倣しても、強弱がつかない以上、不完全な模倣でしかありえないからです。ずっと後になって、モーツァルトが、音量は非常に小さいが強弱をつけることのできるクラヴィコードを愛した所以でしょう。