初見演奏 その1(2006年執筆)
私は初見演奏が得意です。どのくらい得意かというと、今まで同じ程度に初見演奏をできる人に出会った事がないくらいに得意です。そして、これはずっと昔、子供のころからそうだったので、既に小学校一年生の時には、音楽の時間にピアノの苦手な男の先生に代わって伴奏していたし、小学校上級生になると、ヴァイオリンを弾くもっと小さい子供達の伴奏をひきうけて、ヴィヴァルディの協奏曲など多くの曲をすべて初見で弾き、また日曜ごとのカトリック教会のミサでは、メロディーだけを見ながら即興的に伴奏をつけてオルガンを弾いていました。こういった色んな事は、当時の私には極く自然に出来る簡単な事だったのです。ところが、私が日本にいた間の経験では、「ピアニスト」に要求される能力といったら、難しい曲を完璧に弾く事だけで、それ以外の能力を重要視されたためしがありません。それどころか、「貴方はオルガンを弾いているから鍵盤を押さえるくせがある、ピアノは叩かないといけないので、オルガンを弾くのは有害だ、やめた方がいいですよ」などと言われたこともあります。ピアノが叩く楽器、という広く巷に流布している概念には賛成できかねますが、その事についてはまた後日述べることにしましょう。ともかく、そういうわけで、初見演奏など出来てもたいして意味のないものだと思っていました。この点は、現在もあまり変わっていないようで、ピアノを勉強している人達のなかには初見演奏が全くといっていい程できない人が多くいます。これは大変に困ったことです。何故でしょうか。
ソロのコンサート活動だけで生きていける人はどれくらいいるでしょう。誰だって、少し考えれば、これが「才能と好運に恵まれたごく僅かの人達のみに許された非常にまれな生き方」であることは分かるはずです。有名音楽大学を優秀な成績で卒業し、コンクールの一つや二つに入賞したくらいでは、それで食べていくなんて不可能です。それなので、多くのピアニストの卵が次に考える事は、伴奏者になる事、もしくはソリストと伴奏者を掛け持ちする事です。熱心に長年ピアノを練習した以上は、何とかピアノを弾くことでお金を稼ぎたいですからね。さて、伴奏者として食べていくとなると、自分の好きな曲だけを好きな時に練習する、というようなわけにはいきません。ここで、初見能力が極めて貴重なものとなってくるのです。音楽大学に勤務する伴奏者の場合、当然ながら、受け持っている学生の弾いている曲はすべて伴奏しないといけなくて、選り好みできません。その際、初見で弾ける曲が多くあるなら、その分は練習せずに授業に臨めるわけですし、また初見演奏が不可能な難しい曲でも、譜読みの速さは大きなメリットで、準備は短時間で済みます。ところが初見が不得手だと、どれもこれも事前に練習しないといけないので、同じ給料をもらうためには何倍もの時間働かないといけない。コストパーフォーマンスが極めて悪くなります。そしてまた、入試の伴奏も時にはしないといけませんが、この際には事情は更に深刻です。伴奏をゆっくり準備する時間など全くないままに、どんな曲でも弾かないといけないのですから、初見演奏が出来るかどうかが、即、伴奏者の能力のあるなしにつながります。つまり端的に言えば、初見ができなければ伴奏者には不向きなのです。この事情は、例えばオーケストラに勤務する伴奏者であっても大きくは変わりません。ある知り合いのピアニストが、オーケストラに就職が決まったとたんに、「明日、リヒャルト・シュトラウスの『バラの騎士』の全曲リハーサルの伴奏をしてください」と言われ、「畜生め、新米いびりだ」と憤慨しつつも仕方なく徹夜で練習した、と言っていましたが、こんな難しい曲をそれほどの短期間でこなせる人がどれだけいるでしょうか。
伴奏者にそれほどの初見能力が要求されるのだったら、自分はピアノの先生になればいい、と多くの人は考えるだろうし、それは尤もなことではありますが、ピアノの先生にとっても、初見能力は結構大切なのです。ピアノくらい膨大なレパートリーを有する楽器はないので、いくら多くの曲を知っている人でも、どの作曲家のものでもいくらか有名な曲なら全部弾ける、というような事はまず不可能です。話がやや脱線しますが、この事は、例えばベートーヴェンのソナタ全曲弾けるピアニスト(これは世界中に何人もいるでしょう)がショパンの作品のうちどれだけを弾けるだろうか、また逆に、ショパンを全曲弾けるピアニスト(これも世界中には何人もいるに違いない)が、ベートーヴェンのソナタを何曲レパートリーにしているか、それを考えれば明らかでしょう。アルフレッド・ブレンデルが新聞のインタビューで、「ショパンは自分の肌にあわないので、あまり弾きません」と語っていましたが、実際、世界をまたにかけている大ピアニストでも、何でもかんでも弾けるわけではありません。好き嫌いや向き不向きは必ずあって、「ベートーヴェンとショパンの両方を全曲弾けた」というようなピアニストは、多分、歴史上存在したことが無いのです。そして勿論、大作曲家はこの2人だけでなく、バッハに始まって現代作曲家に到るまで、数え切れないくらいに存在するのですから、一人のピアニストがいくら頑張ってみたところで、ピアノ曲全体のほんの一部をレパートリーにするのが関の山です。そういうわけで、初心者ばかり教えるならともかく、ある程度上達した弟子がおれば、なかなか自分の知っている曲だけでは済みません。自分の知らない曲でも、弟子が「是非この曲を弾きたい」と希望するなら、それを弾くための手助けをしないといけない。「自分はこの曲を知らないので、教えたくない」というのは先生として褒められたことではないでしょう。まあ、バッハ以前の音楽とか、アヴァンギャルドの音楽など、特殊な分野は別にしての話ですが。また、夏季講習などで短期間に多くの学生を教えるような場合には、知らない曲を教える羽目に陥ることはしばしばです。そんな際、楽譜を速読、速演する能力は非常に役に立ちます。自分で一度でも弾いてみてあるのとないのでは、教えられる内容が大きく変わってくるからです。技術的なアドヴァイスなど、自分で試してみなくて出来るわけがありません。いい先生たらんと欲すれば、初見能力無しではすまないでしょう。
このように、ピアノを勉強する人達の大部分が行き着く職業には、初見能力が非常に大事で、「難しい曲をいくつか上手に弾ける」という能力の比ではないくらいです。
しかし「私は初見が苦手なのですが、どうしたら初見能力が身につくのでしょう、教えてくださいませんか」ときかれると、返答に窮する、としか言いようがありません。私が初見演奏のエキスパートであることはライプチヒ音大で知れ渡っているので、出来る人なら教えられるだろう、と思われたらしく、数年前より「初見演奏」という変わった授業時間を担当さされています。ついては自分なりに本を読んだりして研究したところ、初見演奏に必要な基礎的能力は「全ての調性の音階が自動的に弾ける事」や「和声が直感的にとらえられる事」などである、と書いてあります。確かに、速いパッセ-ジや大きな和音を弾く場合、一つ一つの音を読んでいたのでは間に合わないから、想像して弾く部分が多く、こうした事が初見演奏の土台にあることは間違いありません。しかし、これらが出来る事は音大生ともなれば当たり前であって、いまさら音階やアルペジオの練習をさせた所で初見演奏の上達に直結するとも思えないし、そんな事をしていたのでは時間がいくらあっても足りません。それに第一、それでは授業が退屈すぎます。そんなつまらないことはやりたくない。だから、音階、アルペジオなどは「ちゃんと自分で毎日練習しなさい」と命じるだけにして、授業時間には、他の教授たちがやっているように、連弾曲などを一緒に弾いたりして楽しみながら「初見演奏の訓練」を行っていますが、我ながら効果は上がっていません。最初から出来る人は出来、出来ない人はいくら訓練しても出来ないのです。どうやら、大学生になってからでは手遅れで、出来るか出来ないかはもっとずっと早く、子供のころに決まってしまうようです。言葉を覚えるのと同様に、早ければ早いほどいいに違いない。だから、私の提案は、ピアノをはじめて間がないくらいの子供の時から、多くの楽譜に触れさせること。伴奏などをさせて、なるたけ色々弾かせること。「この曲は難しすぎて、貴方にはまだ早すぎます」などと言わないこと。「オルガンを弾くと指に悪いくせがつくからいけません」などとも言わないこと。これが、私が自分でやってきた、最も確実に初見演奏能力を身につける方法であり、これしか無い、という気がします。
しかしながら、読者のなかに「こうすれば初見演奏が出来るようになります」というアイデアと経験のある方がおられたら、ぜひともお教えいただきたく存じます。