落ち込む?
今日のライプチヒ新聞の文化欄に、まるで今まで読んだこともないひどいコンサート批評が載っていました。題からして凄い。Deprimierend、落ち込む。そしてコンサートグランドを演奏中のピアニストとバックのオーケストラの写真が出ています。読んでみると、題から想像するよりもっとひどい。アンドレイ・ガブリロフがラフマニノフの協奏曲2番を弾いたが、最初から最後までピアノ鍵盤をたたき割るような音でニュアンスなど全くなく、また記憶もあやふやでまるでめちゃめちゃ、オーケストラも寄せ集めのたいしたことのないオーケストラだが、何とかナヴィゲーションをしておおよそピアノにくっついていたのは褒められるべき、しかしながら一度としてちゃんと合ってはいなかった、というものです。彼は60歳だそうですが、既にボケはじめているのか、それとも何か精神疾患を患っているのでしょうか?1974年にチャイコフスキーコンクールに優勝し、世界的名声を集めている人にしては、ちょっと衰えが早過ぎる気もしますが。
考えてみれば、スヴィアトスラフ・リヒテルは65歳で暗記演奏を止めました。記憶の衰えを悟ったからでしょう。楽譜を見ながらのソロ演奏は、やや物足りない感じではありましたが、音楽的にも技術的にも素晴らしい演奏をその後も長く続け、例えばかなり歳をとってからのビオラのユーリ・バシュメとの共演は、忘れられない名演でした。一方、ショパンコンクールの優勝者アダム・ハラシェヴィッチは、彼が65歳のころ私は彼のピアノコースを受けましたが、テクニックも記憶もかなり衰えていて、聴き手がハラハラする演奏をしていました。その後もしばらくハラハラ演奏を続けていたようですが、そのうち演奏を止めたのか、名前を聞かなくなりました。
他方で、80歳を過ぎても技術も記憶も(少なくとも外見的には)さっぱり衰えない、ルービンシュタインのようなピアニストも少なからずいます。どこからこの差が出てくるのでしょうか?どうすれば、現在の能力を長く保ち続ける事ができるのでしょう?これは、とっくに60歳など通り越している私にとっては切実なる問題です。
20年近く前の事ですが、今は亡きチェリスト、ボリス・ぺルガメンシコフのマスターコースの伴奏をしました。彼は当時、ドイツで一番人気のチェリストだったので、コースは参加希望者が多すぎて、選抜試験をして数名だけが選ばれ、晴れて彼のレッスンを受けることができました。しかしレッスンは厳しい!朝一番の生徒がレッスン中にミスをした時、先生は訊きました。「君は今朝、何をしましたか?練習しましたか?」。生徒はしぶしぶ、朝早すぎるので練習せずに来たことを白状しました。すると、「君は現在、若さで演奏している。若いからそれでもある程度はいけるかもしれない。しかしそれを続けて私の歳になると、絶対に弾けない。努力なしには、この仕事はできない。それがいやなら今からさっさと止めたほうがいい。」と手厳しく叱りました。彼はブルドッグを思わせるギョロメで、脅し効果満点、生徒は震えあがっていました。聴講生の中には(選抜試験に落ちたためにレッスンを受けられなくなって、不満に思っている人たち)はそれ見た事か、と小気味良く感じた者もいたようです。しかし当時の私にはこのお説教はピンとこなくて、へえ、そんなものかしら、ちょっと大袈裟じゃないかしら、と思っていました。でも今になると分かる気がします。人に知れない努力の積み重ねが演奏能力を保つには不可欠であることが。若い時に、天性の能力と社会的成功に溺れて地道な努力を怠ると、早くダメになってしまう、そういう事ではないでしょうか。ペルガメンシコフ自身は、このマスターコースの数年後、癌で亡くなってしまったので、老醜を晒すことはありませんでした。 2016年2月1日